続・天使の自分と悪魔の自分

 周りを巻き込んで困らしてしまう、更に自分をも壊してしまう悪魔の自分。それを抑え込んで周りと自分を幸せにする天使の自分を出すための方法の続編です。今回は、承認欲求のコントロールと、自分の中にある執着心のコントロールについてです。

 承認欲求って人に認められたいという欲求で誰もが持っているもので、人から認められると嬉しいものです。やっぱり全く認められず評価されないより、たとえ僅かでも認められ評価された方がいいですよね。

 でも、強すぎるのも問題で「私は、こんなに頑張っているのに何故あの人ばかり評価されるの?」とか「あの人はいいな。皆から認められて。それに比べて私は誰にも認められない。」「私も認められたい。いい評価が欲しい。」とか。誰もが一度は思ったことがあるのではないですか。自分の中で昇華(心理学用語です)出来れば問題ないのですが、時に顔を出す悪魔の自分。「なぜあの人(人達)だけが・・・」「許されない。許さない。その評価は私のもの」など出てくる負の感情。それって嫉妬心、やきもちなんですが、出すぎると相手を陥れようとしたり、足を引っ張ったりし始めます。自分でも“またやっちゃった。やっちゃいけないと分かっているに・・・”と自分を追い詰める原因になります。

 執着心(こだわる心)も同じで、何かに執着してやってきた結果、物凄い成果を上げて世の中に貢献した(している)人達は、周りも自分も幸せにする天使の自分が出ています。

 しかし、悪魔の自分が出てくると、俗に言う「厄介者。嫌われ者。偏屈者。」と言われる人達になりやすく(そんなこと一向に気にならないよ。という人達はいいですけど。)“そんなつもりじゃないのに”“そんなこと言うつもりじゃなかったのに”“私ってそんな風に思われていたのか”と、これまた自分を追い詰めることになります。どう思われているか気になり人と会うのが怖くなってきます。

 それでは、どうやって悪魔の自分を抑え込んでいくか。それは「吾唯足るを知る」「どうでもいいプライドを捨てる」「今の自分のレベルを把握する」の3個です。それらの内容について見ていきます。参考にしてみてください。よろしくお願いします。

 

①『吾唯足知(われ ただ たるを しる)』

 まず「足るを知る」とは、「身分相応に満足することを知り、それ以上は求めないようにする。」という意味で、昔から清貧の心得として使われ、これを実行することは尊いとされてきました。また、「欲を持ってはいけない。何かに執着してはいけない。今満ち足りていることに気付くことが悩み苦しみから抜け出す方法である。」と思っている人も多いのではないかと思います。(実際お釈迦様も同じようなことを言っています。)

 しかし、私の解釈は、少し違います。人間は、業が深く欲を持ち執着する動物だと思っています。これがなければ、良くも悪くも世の中の進歩ってなかったと思うからです。もっと便利に、もっと快適に、もっと楽にと、もっともっとと欲を持ってきたから今の世の中が有る訳で、ある意味大切なものなんです。だからすべてを否定するものではないと思います。私はこう考えます。

 「足るを知る」とは、「今の現状をしっかり把握して、今の自分はこれでいい。と納得して次へと進んで行くことである。」と。過度な期待と夢と欲を持つから現状が受け入れられず、そのギャップで悩み苦しみます。“今の自分は、これでいい”と考えることです。1秒後、1分後、1時間後、1日後、1か月後、1年後、常に変化しています。前とは違っているんです。

 だから、人から認められて評価されたければ相手に嫉妬せずに、その時その時で現状を把握して、一歩一歩自分のするべき事をして次へと進んで行くことが大切です。

 それでは嫉妬心、やきもちを解消するにはどうしたらいいかですけど、それは「相手の土俵に上がらないこと。相手の縄張りに入らないこと。」です。所詮、他人です。何を考えているか、どう思っているかなんて心の中なんて分かりません。そんな分からないものに気を取られてはいけません。他人中心ではなくて自分中心で行きましょう。大切なのは自分の心です。

 『吾唯足知(われ ただ たるを しる)』即ちこれは「人は欲張らず、今の自分を大切にしなさい」という意味です。

 

②『どうでもいいプライドを捨てる』

 長いこと生きてくると仕事、家庭、自分自身、周りの環境などでいろいろなことが起きます。その中で得た経験が後天的にその人の人となりが作られていきます。それが持って生まれた性格と結びついてその人の人格が作られます。そうして自分の中で自分の考え、価値観、理想、功績、マイルールが出来上がります。それがある意味その人の生きてきた証であり、プライドです。

 しかし、それを「これは、こうするべきだ。」「間違っている。これが正しいやり方考え方だ。」「俺は、こんなにすごいことをしてきた」「俺の経験ではこうだ」など、外に主張し人に押し付けてしまうと、時と場合にはトラブルを招きます。自分では、その人の為、周りの人たちの為と良かれと思って言ったことや、やったことが返って反発されて怒らせて時にはトラブルに発展します。俗に言う「厄介者。嫌われ者。偏屈者。」と言われる人となることもあります。その結果、自分で落ち込み、悩み、苦しむことになります(逆に堂々と開き直る人もいますが)。

 では、なぜそうなるのかっていうと、「人は人を変えることはできない。」という事を知らないからです。人はそれぞれの人生で今まで培ってきた生きてきた証・プライドを持っていて、それがその人の存在を維持しています。

 従って、大切なのは「人は変えられない。それぞれの考え方があり正解はない」ことを知って自分が変わること。そして、相手の気持ちや考え方など考えながらTPOに合わせて主張することです。

 

③『今の自分のレベルを把握する』

 「自己にならうことは自己をわすれること」(道元禅師) 「一度自分を忘れる。すべてを忘れる。そして自分を見つめる。」と私は解釈しています。そうするといろいろな自分が見えてきます。自分のレベルが分かってきます。意外と低いってこともです。目を逸らしてはダメですよ。

 「自分のレベルはこんなもんじゃない」「自分はもっとできるはずだ」「自分には能力がある」など自分を擁護した言葉が出てくるでしょうが、その考えが承認欲求の暴走につながると思います。「脚下照顧」一度自分の足元を見てみましょう。上ばかり見ていると視野が狭くなって周りの様子が分かりませんし、もし目の前に崖があったらどうしますか。解りますよね。自分のレベルを把握することは、次につながる大事な作業なのです。そうすることで自分がどうすれば人から認められ評価されるか分かってきます。

 人はどうでもいいです。大切なのは自分です。自分のやるべきことを淡々と愚直にやってレベルを少しずつでも上げることで、人から認められ評価されると思いますよ。

 

まとめ

 周りを巻き込んで困らしてしまう、更に自分をも壊してしまう悪魔の自分。それを抑え込んで周りと自分を幸せにする天使の自分を出すための方法の続編です。今回は、承認欲求のコントロールと、自分の中にある執着心のコントロールについてです。

 承認欲求って人に認められたいという欲求で誰もが持っているもので、人から認められると嬉しいものです。やっぱり全く認められず評価されないより、たとえ僅かでも認められ評価された方がいいです。

 しかし、それが強すぎて、暴走すると周りに迷惑をかけるだけでなく、自分自身もおかしくしてしまいます。執着心も同じです。これらをコントロールすることが必要なのです。そのためには、「吾唯足るを知る」「どうでもいいプライドを捨てる」「今の自分のレベルを把握する」を知ることです。

 今の現状を素直に受け入れ、今の自分の立ち位置を把握し、少しずつでいいから修正していきコントロールしていきましょう。